「浄土の鳥」嶋本昭三アトリエAU展
こんばんは。ゆうたんです。
「浄土の鳥」を作りました。
極楽には沢山の鳥がいると経典に説かれています。
白鵲(びゃっこう)と呼ばれる白鳥
孔雀(くじゃく)
鸚鵡(おうむ)
舎利(しゃり)九人の言葉を暗誦する黒い鳥
迦陵頻伽(かりょうびんが)人面鳥身で美声の鳥
共命(ぐみょう)一つの身体に頭が二つある奇妙な鳥で、
「自他一如」を表しています。
【自他一如とは?】曹洞宗荒村寺より一部抜粋
他人の事を優先して考えるのが善い事。
自分の事を優先して考えるのが悪い事。
道徳的にそう理解しようとしながらも
やはり自分の事は一大事で
他人の事は所詮他人事。
「一万人の死と一人の死、どちらが重いか……?」
この問いに大抵の人は悩みながらも「一万人」と応えるでしょう。
しかし、もしその一人の死が自分自身だとしたら?
「何だかんだ言って皆結局の所、自分が一番可愛いんじゃないか……」
結果としてそういう答えに辿り着く人は少なくないのではないでしょうか?
このような思案は
経典の中でも見ることができます。
コーサラ国の王パセーナディも
彼もどんなに考えても、自分自身よりも愛しいと思える者を見出すことはできませんでした。
彼は最愛の妻であるマリッカーに自らの考えを聞いてみました。「自分自身よりももっと愛しいと思われるものがあるか?」と。
しかし話を進めていくと、結局の所、彼女にも自分より愛しいと思うものは考えられませんでした。
「私達は本当にこんなことでいいんだろうか?」
そう思い彼らはお釈迦さんを訪ねました。
そして自分たちの疑問を投げかけました。
「私も妻も自分自身より更に愛しいものを考えることができませんでした。どんなに思案しても結局、そう答える他ありませんでした。私は、私達はこんなことでいいのでしょうか?」
お釈迦さんはその問いに対して深く頷き
「どこまでも探し求めても、人は己より愛しきものを見出すことはできない。
そのように他の全ての人々にとっても、
自己はこの上なく愛おしい。
それ故に、己の愛しいことを知る者は
他の者を害してはならぬ。」
自分の事が一番可愛いと思うのは
人間の本性、本能とも言っていいかもしれません。私達はそれを何かどす黒いもののように感じてしまいます。
確かに自分の事しか考えず行動する姿は
他から見ると醜いものです。
だから私達はそれを否定しようとします。
反対に自分を押し殺し、
他者を優先することで打ち消そうとします。
でも自分を押し殺すことは、自分にとって苦しいこと。その姿は他から見ると、どこか歪(いびつ)に見えることがあります。
こうやって私達の考え方は自分か他人かのように二者択一になってしまいがちです。
そして結局どちらかだけを選ぶと、そのどちらにも違和感を覚えてしまいます。
お釈迦さんは決して私達がどす黒いと思うものを否定しません。
むしろ肯定したままで
「自己はこの上なく愛おしい」と突き詰めていきます。
そうして自分を想う気持ちが転じて、他者を想うことに通じていくことを説きます。
「他の全ての人々にとっても
自己はこの上なく愛おしい。
だから害してはならぬ」と。
他の人の事も考えなくちゃいけないと無理矢理に思う必要はありません。
自分自身を愛しいと思う気持ちを無理矢理抑え込む必要はありません。
ただそっとその想いを「他者も同じなんだ」と共感することで、そこからまた慈しみの心が生まれてきます。
誰かを手助けをしたのに、なぜか自分自身も嬉しい。誰かを励ましにいったつもりが、逆に自分自身も励まされた。
誰かに教えているはずなのに、自分の理解も深まっていく。誰かに救いの手を差し伸べたはずが、自分自身も救われていると感じる。と。
自分のように他者を大切に。
そんな人と出会えるのは幸せですね
ゆうたん
「浄土の鳥」
210×265㎜
岩絵具.樹脂.蝋.雲母.石粉粘土/木
販売価格(税抜)
「浄土の鳥」32000円
秋のAU展後のお渡しになります。
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